モヤさま!!!!!

はてなブログのモヤさま!!

あの事件について考えていた

秋葉原の無差別殺傷事件から3日経った。
なんというか、日本の911だよなーとか思ってて(大袈裟だけど)それは、秋葉原っていう場所がそうさせているのかもしれないし、私がインターネットの浅瀬でプカプカ漂っているからそういう風な気がするだけかもしれない。


(この後、色々書いてみたのだけど、なかなかうまくまとまらなかった。
でもこのままにしとく。)


誰が被害者であってもおかしくないように、誰が加害者になってもおかしくないんじゃないかなーとか思ってて、掲示板の書き込みを色々なところで読むたびに、なんとなくうすら寒い思いをしてる。
あまりにも普段よく見かける感じの書き込みだったから。
なんだろうな、普通にありがちすぎて、気持ち悪かったな。


それで、私と彼の差はなにかなーとか、なんで私は狂わないでいられるのに、彼狂っちゃったんだろなーとか考えてたら、やおら気持ち悪くなったので考えるのをやめた。


あと、マスコミが心の闇とかヲタのほうばっか注目して、派遣の悲惨な現状なんかに目を向けないって声をよく目にするんだけど、なんだかそれも違う気がする。
どっちも注目してしかるべき問題だし、特に派遣の話はこれから本当に改善されなくちゃいけない問題なんだけど*1、どちらもこの事件の本質じゃないとおもうんだ。
だって、派遣の期間工だから彼狂ったの?そうじゃない。
でもじゃあ何に注目したらいいのかよくわからない。
ものすごーい確率で発生した異分子だからしょうがないとか考えちゃうと、それもやるせない。
狂わないためにどうしたらいいか。とかだよなー。
派遣の期間工がどんなに非人間的な扱いされてたって、大多数の人間は、なんらかの文句や恨みや寂しさや閉塞感を抱えてても、普通に毎日生きてるわけだよ。
彼らきっと今日だって明日だって、リストラされようがなんだろうが、どっかで生きている。
それで、また、彼なんで狂っちゃったんだろうとか考え出して、どんづまりである。


今日電車が秋葉原に止まったとき、なんとなくイヤホンをはずして窓の外を見た。
一見普通のなんでもない日常だけど、そこはもう明らかにあの事件のあとの秋葉原なんだよな。
今使ってるパソコンも、思えば父と二人で秋葉原で部品を購入して、一緒に組み立てた自作だった。
路上でジャンク売ってるのを、父は興味津々で見て回ってたのを覚えてる。
実際秋葉原そんなに行ったことないけど、ヨドバシの本屋とタワレコは結構よく使うし、あとメイド喫茶にも行ったな一回だけ。
ドンキの上の。
すごく並んだ。
ゲーセンでプリクラ撮りたかったのに、機械が全然無くてすごく困った。
あとつくばエクスプレスを使って友達のうちへ遊びに行ったりする。


この先も秋葉原へ立ち寄る機会があると思う。
でもそのたびに、この先何年かは、今回の事件を思い出すのだろう。
たくさんの人が亡くなってしまった。
みんなこれから楽しいことがいっぱいあったはずなのに。
なんだかわけがわからないうちに亡くなってしまったんだろう。
でも、それだけじゃなくて、街自体も死んでしまったみたいだ。
秋葉原っていう街もなんだかわけわからないうちに死んでしまったみたいな感じがする。
なんで最後に秋葉原の思い出を懐古的なノリで語りだしたのか自分でもわからない。


あの事件の日。
6月9日あけて10日早朝、私は彼と正式にお別れすることを決めた。
色々あった日だった。

*1:実際ヒドすぎてドン引いた。